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新型コロナウイルスへのこれからの備え:シンガポールの制度から外来診療について考える

[2021.02.06]

 新型コロナウイルスの新規感染者数は減ってきていますが、それでも全国の中では医療が逼迫している地域もあります。より感染力が強いとされる変異株が国内で確認されるなど、感染者数が増える可能性も否定できません。

 新型コロナウイルス患者数が春にはゼロに近づいていくのか、次の冬まで続くのか、いつ終息するのかなどはわかりません。しかし、より多くの方が感染することを考えて、備えておく必要があります。ここではシンガポールの体制についてご紹介して、これからの日本の外来医療体制について私見を述べさせていただきます。

 なお、私はシンガポールに住んだことはなく、シンガポール保健省のホームページから得られた断片的な情報から考察した文章ですので、そのような前提で読んでいただきたいと思います。

 

【シンガポールの新型コロナウイルス対策:外来診療】

 シンガポールは重症急性呼吸器症候群(SARS)や新型インフルエンザなどの感染症流行を経験しており、Public Health Preparedness Clinic (PHPC)と呼ばれる感染症に対応する診療所(開業医)が事前に指定され、準備を整えているそうです。今回の新型コロナウイルスに対しては、約900の診療所がPHPCとして外来診療を担っています。

 ホームページから集めた情報(1)(2)では、PHPCについては以下のような制度で運用されているようです。

・感染症の検査、調査、治療、予防接種などを行うことで感染対策の鍵となる重要な役割を果たしている

・緊急時に対応できるよう、平時からトレーニングが提供され、ガイドライン更新等にも対応している

・マスクやガウン等の感染に対する個人防護具は不足することがあるが、PHPCには十分に供給される(最大12週間分)

・インフルエンザに対するタミフルなど、治療薬が優先的に供給される

・対応に必要な初期費用や、その後のコスト負担をするための補助金によって支援されている

・PHPCの医師は新型コロナウイルスに感染して休業を余儀なくされる可能性があるが、これに備えた保険があり、また政府によって1日あたり500シンガポールドルの助成金がある

・感染症対策が必要とされた場合に、保健省がPHPCを発動する。今回の新型コロナウイルスでは、2月からPHPCが機能している

 

【シンガポールの対策から考えるこれからの新型コロナウイルス対策】

 日本の医療機関では、理念に「患者さんと地域を守る」ということを入れているところが多いです。医療機関にとっては新型コロナウイルスの診療を行うことも重要ですが、その他の診療も重要で、将来に渡って地域や患者さんを守っていくためには医療経営の安定性・継続性も大切です。

 医療提供のためには、ヒト・モノ・カネ・情報の4つの資源が必要と言われています。それぞれについて、考えてみます。

 

【ヒトについて】

(スタッフの確保)

 今回調べた範囲では、PHPCの医療スタッフが新型コロナウイルスに感染した場合に、応援のスタッフが来るかどうかはわかりませんでした。PHPCでは、休診に対する保険と休業補償で乗り切るように思われます。

 医療では、個人防護具の準備や風評被害対策など、スタッフを守り、人数が減ってしまうことを防ぐことは重要です。風評被害によって医療スタッフが出勤できなくなったり、辞めてしまったりしたことが報道されました。新型コロナウイルスは、人員不足によって医療機関の存続を危うくするものだと言えます。

 

(スタッフの教育)

 PHPCでは感染対策についてスタッフのトレーニングが行われ、最新の感染症対策の知識が共有されています。

 以前から日本の医療機関でも感染対策は最重要課題の一つであり、個々の医療機関が勉強したりマニュアルを作成したりして対策してきました。専門は腎臓内科や透析である私も、感染対策を勉強しています。しかし感染対策は一つの専門分野ですから、日常診療をしながら感染対策の最新情報を集めたり院内に浸透させたりするのは労力として大変です。また、個別に対策していると、医療機関によって対策がばらばらになる可能性があります。

 日本でも、感染対策の専門家が標準的な感染対策を作成し、具体的例を示して、それを全国に教育・普及させるようにしたらいいと思います。これによって、

・その時点で最もよいと思われる感染対策が、全ての医療機関で行われる

・感染対策に変更があった場合も、全ての医療機関での変更が迅速に行われる

・結果として日本の医療機関全体の感染リスクが低下する

・個々の医療機関での感染対策を勉強したり考えたりする労力が、軽減される

・他医療機関からのスタッフの応援を受け入れる場合、全国の感染対策が統一されていれば混乱や院内感染が起きにくい

 などのメリットがあります。

 

【モノについて】

 2020年春の日本では、新型コロナウイルス診療をする医療機関ですらマスク不足で苦労しましたので、どなたも記憶に残っていることと思います。最近では、供給の問題から手袋などの個人防護具の値段が驚くほど高騰しています。個人防護具や治療薬(まだ確立されていませんが)、ワクチンなど、「モノの確保」の心配をなくすことは、新型コロナウイルスに対応をする医療機関にとって大きな応援になりますし、手を挙げやすくなります。

 個人防護具を購入するためのお金を補助金としていただけることは、非常にありがたいことです。しかし、「お金をいただいても、手に入るかな?」「値段が高騰してきたから、クリニックで負担する部分が大きくなってしまうかな?」などの心配は、しないで済むならばそれにこしたことはありません。医療機関は診療に集中させていただくのが一番ですので、PHPCのように「〇〇か月分配りますよ」と現物支給を保証していただく方が、医療機関の安心につながるように思います。

 

【カネについて】

(新型コロナウイルス前の医療経営の状況)

 お金の問題も非常に重要です。医療経営が健全であることは、長期的に安定してよい医療を提供するために必要だからです。

 日本では平均寿命が延びて高齢者が増え、それにより医療費が高くなってきたこともあって、1980年代ごろから医療費抑制政策が取られてきました。バブル崩壊後は経済が厳しく、また財政も大変厳しくなってきましたので、やむを得ない側面はあると思います。

 しかしその影響で、医療経営には余裕がありません。医療機関の収入のほとんどは診療報酬であり、診療報酬は「公定価格」ですから、経営を改善するためにはたくさんの患者さんに診療をすることが必要になります。大学病院ですら、必死に診療をしないと赤字になってしまうような状況です。また、医療機関は固定費(患者数がゼロになってもかかるお金)の比率が高いため、患者数が少し減るだけでもその経営に大きな影響があります。

 

(新型コロナウイルスの医療経営への影響)

 新型コロナウイルスを心配して患者さんが受診を控えるようになっています。また、いいことですが、インフルエンザが例年より非常に少なくなったり、肺炎やけがが減ったりしていて、医療経営からすると減収になっているところが多いようです。さらに、医療経営でも風評被害は非常に大きな問題です。聞いたところでは、長崎市で第1例目の新型コロナウイルス感染者が発表された際には、その患者さんの診療をしていない付近の医療機関に「そちらで診察したのか」と電話がたくさんかかってきたそうです。風評被害によって長期間にわたって患者さんが減る可能性があり、医療経営としてはかなり心配です。

 どんなに気をつけても新型コロナウイルスに感染してしまうことはありますので、PHPCのように、医療スタッフが感染しても安心して2週間程度閉院できる保険や保障は重要だと思われます。現在、日本医師会にもそのような制度があります(3)。

 どの産業も大変な中、医療に財政的なご支援をいただけることは大変ありがたいことです。しかし、新型コロナウイルスの診療をすることで赤字になってしまうことはよく報道されています。今年度の収支状況が参考になることでしょうから、新型コロナウイルスの診療を行うことで「赤字にならない」という制度設計がなされればと思います。

 新型コロナウイルスの入院医療や医療経営へ影響については、新型コロナウイルスによる医療の逼迫についてもご参照ください。

 

【情報について】

 シンガポールの新型コロナウイルス対策については、シンガポールで診療されている林啓一先生の記事(4)や日本医師会新型コロナウイルス有識者会議でのレポート(5)が出されています。私が注目したのはシンガポール政府の情報公開で、「正しく恐れる」ための発信や意識の共有がされていることです。先に述べましたように、風評被害はスタッフにも医療経営にも大きな影響がありますので、このような取り組みによって風評被害が減ることはありがたいことです。

 

【長期的な視点での感染症への備え】

 シンガポールでのPHPCのような何らかの体制を作っていくために、あるいは外来診療を担う医療機関へ支援してくためには、国民の皆様や政府をはじめ幅広い合意形成が必要となります。

 医療費は抑制されていて医療経営はギリギリですので、平時には平時に必要なだけ医療資源を整備するのが当然で、使わないほど多くの医療資源を持つことは、放漫経営と言われかねません。新型コロナウイルスのような感染症の大流行は毎年起きなくても、いつかは必ず起きるもので、その時期や規模を予測することが困難です。新型コロナウイルスでは、ICUを使うような重症患者さんが急に増えたため、受け入れ病床が重症患者さんに対して少ないということが問題になりました。重症患者さんが増えてからでは、ヒトもモノも準備するのが困難です。

 モノについて、医療機器や建物設備等に補助金をつけていただいていることは大変助かるのですが、新型コロナウイルスが終息して使うことがなくなると、医療機関としては維持費や更新費用などのコストだけが残ることになりますから、「医療機器が古くなって買い替える時は自腹でお願いします」ということでは、医療経営上は厳しいと思います。ヒトについても、例えば入院医療について、ICUのスタッフやECMOを使えるスタッフを平時から養成しておくのであれば、雇用や教育のコストが必要です。

 財政が厳しい日本で、大きな感染症の流行にどのような医療体制をとることにするのか、どれほどの費用負担を国民の皆様や政府が許容できるのか、それに基づいて医療機関はどのような備えを行うのか、十分に議論する必要があります。

 

【おわりに】

 シンガポールのPHPCから考えたことを述べさせていただきました。背景や考え方がかなり異なりますので、日本にそのまま取り入れられるものではありませんが、対策を考えるための一助になりましたら幸いです。

 

【参考資料】

(1) シンガポール保健省

https://www.moh.gov.sg/

 

(2)

https://www.primarycarepages.sg/practice-management/moh-national-schemes/public-health-preparedness-clinic-(phpc)

 

(3) 新型コロナウイルス感染症対応日本医師会休業補償制度

https://www.med.or.jp/doctor/

kansen/novel_corona/009699.html

 

(4) 林啓一先生の記事

https://medicalnote.jp/nj_articles/200407-001-VA

 

(5) 日本医師会新型コロナウイルス有識者会議でのレポート

https://www.covid19-jma-medical-expert-meeting.jp/topic/1971

 

医療法人陽蘭会 広瀬クリニック

廣瀬 弥幸

プロフィール等

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